アライグマの晩年

いろいろすっきりさせて、あと50年軽やかに生きます

いじいじしないで、視点を変える

こんにちは、ぐまこです。ダイエット苦戦中の47歳です。

 

普段TVは朝の時計代わり、または夕方か夜のニュースとその前後の余韻程度にしか見ませんが、NHKのETVの「100分de名著」は好きで、2011年の番組開始当時から見続けています。

紹介された本や作者の別の本を図書館で借りたり、解説者の著書を探して読んでみたり挫折したり、まぁその程度ですが、本との付き合いの幅も多少広げてもらえて、気に入っています。

10年間で何度か再放送されている人気シリーズ(25分×4回=1か月で100分)に、アドラーの「人生の意味の心理学」があります。見るたびに

「私に言ってんのか」と思うほど刺さる部分がいっぱいあって、一番最近の再放送はHDDに録画して、保存版にしています。

 

アドラーの文章や、内容に沿ったドラマ、解説者の先生の言葉を浮かべながら自分を見つめると、これまでの生き方や考え方も見透かされているようで、やや照れます。

 

文章や番組テロップなど出典はいろいろですが、こんな風な事が心に残ります。

  • 人はそれぞれ自分が意味づけした世界に生きている。
  • 今の自分がうまくいかない原因が過去にあるわけではなく、「過去の経験=人生に大きな影響を与えた出来事」と意味づけしているだけ(トラウマの否定)
  • 不安や不満があるから新しい事を始められないのでなく、新しい事をやらないために不安材料を作り出している。
  • 未知の世界に踏み出すことを、人は無意識に恐れている。いろいろ不満はあってもこのままの自分でいる事の方が楽。変わらない決心をしている

 今の私で言うと、

  • 過去に容姿や成績を否定された事をトラウマ扱いすること
  • 体型、勉強、仕事、なんでも「過去のやり残し」をクリアしてからでないと、先に進めないと思っていること
  • やり遂げないと先に進めないと言いつつ、1題めのダイエットで足踏みしていること

こんな具合に当てはまります。

 

また、こうも言われます。

人生が困難なのではない あなたが人生を困難にしているのだ 

過去を生き直すことはできないのに「逃げた(と思っている)地点」からやり直そうとしたり、人の人生を生きることはできないのに「評価されるかどうか」を基準に行動したり。これは必要なのでしょうか。

穴なんて埋めなくても、よけて通ればいいだけかもしれません。

期待に沿って生きるとしても、他人の価値観がいつも同じとは限らないし、全員に合わせることはできません。

 

いちいち過去や他人と絡めず、もっとシンプルに、自分が今何をしたいか、どうありたいかだけで決めていいのではないか、と思えてきます。

 

原因ではなく目的に目を向けよ

今解決したいことは、この3つ

  • 体型、健康
  • 家計、将来のお金
  • 部屋や時間の使い方が散らかっていること

 これも、

「若い頃から太ったり痩せたりを繰り返したせいで痩せにくい」

「資格もないしブランクが長いから、職探しも大変そうだ」

「家が狭くて」

と、うまく行かない原因探しは不要。今後の目的だけに注目です。

「筋肉つけて疲れにくい体作り。おまけでサイズダウンできればなお良し」

「収入ゼロよりはマシ。家計がプラスになるよう、すぐ働く」

「抜本的な断捨離は後回し。まずは家事の時短のための片付けから」

と思った方が、今の自分にしっくり来そうです。

 

太りだした頃、仕事をやめた時、今の家に住み始めた頃まで遡ると、ウン十年の宿題を片付けるような話になり、もうこれだけで気が重いです。

過去(原因)はさておき、この先どうしたいかに目を向けよ、と。はい。

現実に即した目的で、達成できる程度の目標を掲げて、軽い気持ちで臨みたいと思います。

 

で、やる事は筋トレ、片付け、職探し。いままでと大して変わらないんですけどね。見方を変えるだけで、難しく考えていた事がすーっとシンプルになります。

 

いい歳して、迷いの多いアラフィフ女でして(^-^;

ブレずにドンと構えるには程遠いですが。本やTV、SNSで、昔の人や今の人の考えに触れ、なんとか自分のご機嫌をとりながら、ちびちび生きてます。

 

(今日もボヤキ回でした)

 

では、筋トレをするので失礼します。

 

See you soon racoon('ω')ノ☆